生死の覚悟(新潮新書) epubダウンロード無料

生死の覚悟(新潮新書)

によって 高村薫

生死の覚悟(新潮新書) epubダウンロード無料 - 生死の覚悟(新潮新書)をお探しですか? この本は著者が書いたものです。 この本には140 ページページあります。 生死の覚悟(新潮新書)は新潮社 (2019/5/16)によって公開されています。 この本はに発行されます。 生死の覚悟(新潮新書)は簡単な手順でオンラインで読むことができます。 しかし、それをコンピュータに保存したい場合は、今すぐ生死の覚悟(新潮新書)をダウンロードできます。
「師と出会ったことで、不信心についての私の苦がいくらか薄らいできているのを感じる。この歳でまた少し生まれ変わったようなもの」(高村薫)、「同時代に彼女がおられることは、救いとしか言いようがない」(南直哉)。ある作品を媒介に作家と禅僧が出会い、七年越しの対話が始まった。信心への懐疑、坐禅の先にあるもの、震災とオウム……はたして仏教は、人生のヒントとなるか。実存の根源的危機が迫る時代に、生死の覚悟を問う。

以下は、生死の覚悟(新潮新書)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
髙村薫さんは初期の『リヴィエラを撃て』とか『マークスの山』などは楽しんで読ませていただいたのですが、そのごすっかりご無沙汰しておりました。その時の印象では、とにかく描写が微に入り細を穿つ性質のもので、その道なり街なりを本当に歩いているような気にさせられるのが非常に特異な作家だなぁというのが感想でした。その後随分宗教、それも仏教に傾斜していかれていることは存じておりましたが、読む機会がありませんでした。今回南直哉さんとの対談が出版されましたので購入した次第です。それにしてもこのお二人がこんなに意気投合してしまうとは驚きですね。直哉さんのお書きになったものは何冊か読ませていただいていますが、あの直哉さんと(悪い意味ではありませんよ)こう意見の合うひとが、しかも人気作家だというのにはびっくりでした。ただ、このお二人の対談を読んでいると、仏教をかなり極端なかたちで捉えているのが気になるというか、少し危ういものを感じたのでそのあたりの感想を失礼を承知で書かせていただきます。まず第一点。お二人にとって仏教は「自分とは何か」「死とはなにか」という問題を追求する道であり手段であると仰有いますが、お寺がもっと穏やかに地域文化の交流の場であったり、伝統文化の担い手であったりしてどうしていけないのでしょうか。たしかに仏教には「心の病院」としての性格があり、これは歴史的仏教になるほど強いことは仏教を勉強した者のひとりとして理解しておりますが、社会的な存在としてのお寺のあり方を頭から否定してしまっては、そもそも教団としても仏教が成り立たなくなってしまいます。第二点。おふたりは「信じる」ことができないことを前提に話を進めていらっしゃいますが、これはかなり特異な視点であると思います。わたしは世の中の平均よりやや熱心な大乗仏教徒(天台宗)ですが、上手く写経ができた時は嬉しいし、新しい気に入ったお数珠が手に手に入ったら嬉しいし、お不動様や観音様の前ではごく自然に手を合せて、時間が許せばお経を上げたりします。それに特に抵抗はありませんし、世の中の多くの仏教信者はみんなそうなのではないでしょうか。ご自分達の特殊な立場、見方を少し強調しすぎていらっしゃるのではないかと思いました。第三点。これは重要なことですので少し長くなるのをご容赦ください。このおふたり、「輪廻転生」という考え方を少し軽く見過ぎていらっしゃるのではないでしょうか。「輪廻転生」という考え方はバラモン教や一部の沙門宗教の専売特許ではなく、仏教発生当時のインド亜大陸では当り前の考え方で、仏教も当然のようにそれを前提として始まりました。いかにしたら業を滅して転生の輪から抜け出ることができるかというところから仏教はスタートしたのではなかったのではないのですか。釈尊はこの世の中の全ての存在は縁起によって生じた仮設(けせつ)であると断じました。するとそこで問題になるのが、では転生していく本体は何か、因果応報の当体はなにかといった問題になります。つまり輪廻における連続性は何かという問題なのですが、この問題に明確に答えたひとはいないのではないでしょうか。瑜伽行唯識派が「アーラヤ識」といった仮説を立てるのもその疑問に答えることが目的だったのだと思います。ただし、こういった考え方をあまり推し進めるとアートマンという考え方に接近していき、仏教のアイデンティティの問題になります。つまり単純な問題ではないんです。直哉さんは「輪廻転生は仏教の諸行無常に反する」と何度も発言されており、さらに本書では「無常無我の原則からして、私は輪廻の主体を認めるような教えを仏教として受け入れることはできない」と大見得をきっています。前者の発言は仏教の歴史的経緯を無視した発言ですし、後者の発言に至ってはいまさら何をいっているの?というのが正直なところです。仏教が北伝経路に乗って中国に入りますと中国の伝統思想によって修飾されます。つまり祖霊崇拝や氏族意識です。これがわが国にきますと、さらにわが国伝来のアニミズムに修飾されます。そのため「輪廻転生」はあまり表に出なくなるのですが、「輪廻転生」という考え方抜きの仏教はあり得ません。ちなみに一言しておきますと、こうした修飾を仏教の堕落であるなどと簡単にいうひとがいますが、そうした人たちは祖霊崇拝や素朴なアニミズムを低級な思想と考える一神教的考え方(セム型一神教と名指しで言ってもよい)に毒された人たちだと思います。キリスト教でもイエスによってカソリックが作られたと思う人はいないでしょう。宗教とは伝播していった地方の地場思想と微妙に混交しながら新しい形を作っていく。当り前のことだと思いますが、違いますか?という訳で、お二人の大変気の合った掛け合いについては楽しんで読ませていただいたのですが、ところどころ「ちょっと待てよ」といいたい部分があったことも事実でした。話題の本なのでお勧めしたいところではあるのですが、仏教について普段あまり親しんでいらっしゃらない方が、「これが仏教だ」と思ってしまわれるのは危険であると思い、少し長い文章を書かせていただきました。

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